2007.1.10

 「将来君たちの行動が正しかったと言われる」

 富山県の自治労委員長だった故改井秀雄さんの言葉が今も頭を離れない。
 一九六六年十月、人事院勧告が値切られ続け富山県職労が一時間のストライキを打つことになった。二十二歳の私は本庁支部青年部の副部長。機動隊が県庁に入ることになり、私は対抗して結成されたピケ隊の隊長を命じられた。
 改井さんは「警察権力の下に君たちを送ることは忍び難いが、労働組合が一度くぐらないといけない道だ」と悲痛な声を発した。
 三百人の機動隊が入った乱闘の末、私は減給十分の一、昇給停止の処分に。

 組合は本来、賃上げのために戦うものだが、私は処分の追い打ちで四年間くらい給料が上がらなかった。
 改井さんはその後、私の仲人になってくれた。「処分ばかり受けて貧乏だ」と周囲に猛反対された結婚だが、「二人が良いなら良いじゃないか」と味方してくれた。

 七一年、改井さんは富山市長に当選。四期目の途中、七十三歳で亡くなった。
 市長の時の座右の銘は「春風接人」。春風のように人に接し人を包めという意で、闘争指導者が市長になったため、かくありたいという思いがあったのだろう。私は今も切り込み隊長で、とてもその域に達しそうもない。



(このコラムは、2006年12月10日付け日経新聞「交遊抄」に掲載されたものです。)