2013.4.26

1.  安倍首相は24日の参院予算委員会で、麻生副総理ら閣僚3人が靖国神社を参拝したことに中国や韓国が反発していることに関して、「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。」と述べた。
 そもそも靖国神社は、過去のアジア侵略戦争を正義の戦争、アジア解放の戦争だったと宣伝し、美化する特殊な神社である。だからA級戦犯も合祀している。日本の侵略や植民地支配を受けた国の人々が強い嫌悪感を持ち、日本政府の要人がこれに参拝することに反発することは当たり前だ。領土問題で両国との関係が悪化している今日、両国の反発が想定されるのに、麻生副総理らがあえて参拝を強行して自らの「尊崇の念」を誇示してみせ、両国との関係を一層悪化させたのは児戯にも等しく、異常である。

       
2.  そうした両国の反発や心情に配慮することもなく、逆にそれを「脅かし」だと強気に対応する安倍首相の政治姿勢は、外交的・政治的配慮を欠いた偏狭なナショナリズムという他ない。これでは、北朝鮮の核・ミサイル・拉致問題に両国と緊密な連携で対処など、できようはずがない。彼らの常套語である「国益」を安倍内閣自らが損なっているのだ。

       
3.  戦前、日本の政治は、第二次世界大戦で300万人以上の国民とアジアで2000万人以上の尊い命を奪い、そして広島・長崎の惨状を招き、ついに日本自体を破局に追い込んだ。こうした甚大な犠牲と深刻な反省の上に、圧倒的な国民は、新しい憲法で国民主権、基本的人権の尊重とともに恒久平和(第9条の「戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」)を国家権力に義務付けたのである。
 しかし、安倍首相らこうした偏狭なナショナリズムの持ち主たちには、これが気に入らないと、政治権力を縛る憲法を国民を縛るものに変え、憲法9条を改悪して「国防軍」を持ち、米軍と「集団的自衛権を行使」して戦争のできる国に転換しようというのである。これが、安倍氏のいう「戦後レジーム(体制)からの脱却」の真意である。

       
4.  「国のため」と思い込まされて赤紙一枚で侵略戦争に駆り出され、「尊い命を落とした英霊」は、自分たちを戦争に駆り立てた首謀者・A級戦犯と合祀されたうえに、戦前回帰・戦争をする国に転換されては死んでも死にきれない思いではないか。「英霊に尊崇の念を表する」というのであれば、憲法三原則をさらに深化、実現することでなければならない。憲法99条は、そのことを政治権力にかかわる「国務大臣、国会議員、裁判官、その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めているのである。

       
5.  安倍氏は最近「憲法を国民の手に取り戻す」などとデマ宣伝を始めた。前述したように憲法とは「主権者たる国民が、政治権力の専制化や恣意的支配を防止・制限し、個人の権利や自由を保障しようとするもの」であり、国民が政治権力を縛るものだから、もともと国民自身のものである。彼の本音は「国民の手から政治権力の側に取り戻す」ために改憲を行うということである。ダマされてはならない。


以 上