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周知のように、憲法9条は「戦争の放棄、戦力の不保持と交戦権の否認」を明記している。これは、ほとんどの戦争が「自衛」を名目に行われ、日本が先の大戦でアジアにおいて2000万人以上、そして日本でも310万人以上の尊い生命を犠牲にした深刻な反省に基づいて規定されたもので、当時の圧倒的な国民がこれを支持したのである。
しかしその後、1955年に朝鮮戦争が勃発し、また世界が資本主義陣営と社会主義陣営に分かれて対峙する東西冷戦構造が生まれ、国内でも自衛権をめぐる論議が起こり、一方で米国は日本を武装させてこれに対処させようとする動きも強まった。 |
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そこで憲法9条と自衛権について様々な論議が行われ、憲法前文に謳う平和的生存権や13条に掲げる生命、自由、幸福追求権を最大限尊重する重要性も踏まえ、@わが国に対する急迫不正の侵害があり、A他にこれを排除する手段がない場合、B必要最小限の実力行使で防衛する三要件を満たす場合の「個別自衛権」は許されているとして、その実力組織としての自衛隊設置の根拠が法律的につけられてきた(1969年の内閣法制局長官答弁)。しかし「集団的自衛権」については、わが国が攻撃されていないのに、密接な関係にある他の国が攻撃された場合に共に戦うことができる権利であることから、国連憲章第51条に保障されているとはいえ、憲法9条の下ではその行使は許されないという整理(憲法解釈)がなされ、今日まで歴代政権は踏襲してきたのである。 |
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ところが安倍首相は、これまで歴代政権が積み上げ定着してきたこの憲法9条の解釈をまったく無視し、「許されない集団的自衛権の行使」を「可能」に変えるというのである。
そもそも2012年4月に発表された自民党「憲法改正草案」によれば、憲法の9条2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の規定を削除し、「国防軍」を置き、また「自衛権」を明記している。安倍首相は、これを実現するために、昨年の今頃は憲法改正を声高に唱えていたが、それが困難になったため、「集団的自衛権の行使を容認する方向で対応する」と言い始めた。つまり、一内閣の憲法解釈の変更で「戦争ができる国」に転換し、かつて米国が引き起こしたベトナム侵略戦争やイラク戦争に日本も参戦できるようにするというのである。 |
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安全保障の要諦は「敵を作らず、敵対する国を中立化し友好国化すること」にあるが、安倍首相は、軍国主義の象徴たる靖国神社参拝をはじめ国際的歴史観に逆行する言動を取って中国や韓国など近隣諸国との関係を悪化させ、首脳会談もできなくなっている。偏狭なナショナリズムを振りかざす姿勢はとても外交とは言えない。だから欧米諸国でも安倍首相の言動を「歴史修正主義に基づくナショナリズム」「民主主義の世界標準からすれば『極右』だ」「恐ろしく非民主的かつ反立憲主義的」などの批判が高まり、日本の外交安保政策を不安視する声が強まっている。集団的自衛権を云々する前に、自らの言動を反省し、わが国を取り巻く平和な環境を創造する積極的な外交こそが求められる。 |
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